人 ”結の精神”?

奄美大島 大浜海岸 (懐かしい・・・また行きたい( ;∀;))

人と人の関係を良好にしていく上で、私は欠かすことのできないイデオロギー(観念形態)があります。

”結の精神”です。

一口に「結の精神」を言い表すと”相互扶助の精神”となるかもしれません。

Wikipediaでは

結(ゆい)とは、主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度である。 一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている。

と記載されています。この言葉のルーツは定かではありませんが、おそらく奄美群島から沖縄諸島にかけて各地で紡がれてきた言葉ではないかと思います( ..)φメモメモ

島における暮らしがとても厳しいこと、あるいは戦後、米軍施政下におかれ、その復帰運動に対する激しく凄まじくも揺るぐことのなかった団結心が、その「結の精神」の根底にあったのかもしれません。その紡がれてきた歴史は、もしかしたら戦前より遥か昔から始まっていたかもしれませんね(^-^)

なんでこんな?(‘ω’)と思うかもしれませんね。この言葉を取り上げるに至ったエピソードがあります。

数年前、私は某組織の奄美群島駐在 〇〇専門員として奄美大島の名瀬市へ赴任しておりました。(一番上の子供を授かったのもこの奄美大島でした(^-^))私は奄美群島の〇〇専門分野に係る事業において、奄美群島(与論島・沖永良部島・徳之島・奄美大島・喜界島)の統括する立場にあり、一年中 航空機やフェリーで出張しているような状況でした。妻や生まれたばかりの子供と長い時間一緒にいることはできませんでした。

そんな中、ある島の年齢的に私より15歳以上年上(役職:課長)の先輩がおりました。この先輩とは仕事だろうがプライベートだろうが、ほとんど冗談か悪ふざけみたいなやりとりばかりしてました。

しかし他人がこの先輩を何と言おうと、私は(この人はすごい機転と発想を持ってるし、照れ隠しで悪乗りするが、情に厚い)と思ってました。

酒呑み(島では宴みたいなニュアンス)になると愚痴がひどく、しつこく絡んでくることも多かったですが、良き先輩であり友人だったと思います(あっちがどう思ってるかは知りませんが・・・((+_+))今度不意に電話して確かめてやろうかな)思い出に色濃く残っている人であることは間違いありません。

ある案件で我々は、国会議員を巻き込むまでの度重なる辛酸をなめることになり、解決するために毎日電話やりとりを繰り返し、私は離島間を繰り返し行き来しました。中々解決の目途がつかず、二人とも精神的な疲弊が蓄積してました。

しかし変なもんで、こういうので妙なお互いの競争意識だけはあって、芯が折れたことはなかったです(後々、酒呑みしながら、「あの時あんた俺より先に精神参ってたよな」みたいな感じで・・・酒の肴にされるから( ;∀;))

その時は先輩もかなりやつれていたように思います。冗談も少なくなっていました。先輩はイライラすると頭をかきむしる癖がありましたが、その回数もかなり多くなってました。先輩自慢のポマードで固めたオールバックリーゼントが日を追うごとに崩れていくのを見るのは辛かったです・・・。


夕暮れの大浜海岸 話もそろそろ終わりです

なんとか3か月間かけて解決の目途がたってきて、組織の上連中に報告するため帰路にたつ私を島の空港まで軽バンで先輩が送ってくれているときでした(実は組織の立場上 私が上司だったんすね( ;∀;))。

まじまじと運転席からミラー越しに後部座席の私を見て言うんですよ(冗談と悪ふざけしか言わない人がね・・・)

「こうちゃん、”結の精神”って言葉知ってる?」
「んん?それどういう意味っすか?」
「俺ら島の人間はさ、戦時中も、数えきれない自然災害もさ、島のみんなでワイワイやりながらさ、本土の連中に負けんように手に手を取り合って頑張ってきたのよ。今回もさ、三か月間お互い本当に大変やったけどさ、こうやって島のみんなの協力もらいながらさ、何とか解決したやんかぁ・・・なぁ・・・つまりさ。そういうことよ、なっ!」

ミラー越しに先輩の頬を伝わる何かが見えたときは、私も言葉にできませんでした。言葉にならなかったです。言葉なんてなくてもどういう意味か体をもって理解しました。

冗談の一つも返そうかと思いましたが、お互いしばらく沈黙して、空港に着くころには先輩もいつもの調子に戻ってました(/ω\)

 結の精神 極限状態の精神で本当に人と人がお互いのためにお互いの家族のために、自己の犠牲を厭わず、助け合う それが私の体験したものでした。

肝に銘じるべく、会社の屋号を「結の家」としたのは、言うまでもありません。自己の利益を追求するばかりでなく、困った人の助けになりながら、その対価として報酬をいただける。

そういう会社と事務所と人付き合いをするんだと決めた証のエピソードでした。先輩が生きた証人だってことをいつか伝えなければと思ってます。あなたも何か感動や心に残ったヒューマンエピソードがあったら、ぜひ教えてください(^-^) 勉強になります。

最後までご購読ありがとうございました!(^^)!