許せる人は、人生を楽しめる

人は人をどうやったら許せるのか

はじめに

私たちは人である限り、どうしても喜怒哀楽の感情は発生してしまいます。特に怒りや憎しみ、恨みの感情発生をエネルギーに例えると、凄まじいものになります。生きている限り無限に湧いてくるエネルギーになるでしょう。

喜びや楽しみ、嬉しさの感情が毎日永続的に発生できる人などこの世にはいないと思います。そしてその時間はあまりにも短いです。

人である限り、他人や家族に関わらず感情の争いは、絶えず起こりますし、中々終息しません。それは、当人同士が相手を許すことがどうしてもできないからだと思います。家族だともっと厄介で複雑なこじれとなるでしょう。

最初は些細な感情のもつれや すれ違い 勘違いが引き金なのですが、それを発端にした怒り・憎しみ・恨みの感情は留まることを知らないほど増幅し、いつしか会うこと自体を避けるようになり、忘れるかと思いきや さらにその感情が色濃くなってしまいます。消そうと思っても消えなくなります。

どうしても相手を許すことが出来ないから・・・

私もあなたも今、思い浮かぶ人が一人や二人います。どうやったら、今までのことを綺麗さっぱり忘れ、相手を許すことができるのでしょうか?

私は、宗教を持たないので、無宗教の概念で今までこのことについて考えてきました。でも明確な答えは中々見つかりません。

あなたならどうでしょうか?

棘(とげ)


心の森の中で、棘の刺さった樹がある
怒りや憎しみ、恨みの対象となっている相手を思い出したとき、必ずその発端となった出来事や会話、表情が0.05秒フラッシュバックした瞬間、感情がメラメラと点火するはずです。

その瞬間時事こそが、数十年経っても癒えることなく炎症を広げている棘そのものだとします。

まずは自分の治癒をしなければ、相手もどんな思いでいるのかを共有することはできません。

自分で自分に自己催眠でもかけなければ、すぐに深層心理のどこにその問題があるのかは分かりません。でもあせる必要はないので、自分の心の森の中で、一番見られたくも触れられたくもない禁忌の果実を実らす樹を探してみます。

つまり、その樹こそ自己の核であり、生まれた時から大事に育んできた繊細かつ脆い分身だと言えます。


多くの樹々で囲み、大切に守ってきた自分の分身
まずは最も大切なその樹をゆっくり探し、その樹をやっと見つけた時、初めて棘がどこに刺さったままなのかを探すことが出来ます。じっくり探してあげなければなりません。

自分の分身は、長くその棘により蝕まれています。時間がかかっても良いから抜かなくては・・・。

過去の自分を責めず、仕方がなかったことを思い、それがために悩み苦しんだ自分を包みこんで、深く刺さった棘を引っ張るのではなく、樹木の内側から樹液で押し出していく・・・。

棘がポロっと抜け落ちた時、”ふぅぅー”っと霧がはれ、やがて今まで見えなかった朝日が差し込み、長く長く蝕まれた分身の樹に生気が戻る・・・。

このステージへ至って、初めて相手を思い、労わり、共感する余裕が生まれると思います。単なるイメージで申し訳ないのですが、意外と人はそんな些細な棘のために長く本来の自分を見失ってしまうと思います。

怒りや憎しみ、恨みをやめろ!ではなく、まず自分を癒すことが、相手を許すことに繋がると思っています。

おわりに


数えきれない程の惑星が宇宙に点在し、その地球で小さな小さな人が、毎日の大半を感情に支配されながら、大小問わず一喜一憂します。でもそれが人ですし、最も人らしい・・・。

自分が一生を終えるとき、どうしてそんな些細なことを許してあげられなかったのかと・・・後悔したくはありません。

本当はもっと話をしたかったし、一緒に酒を呑みたかったし、握手をしたかったと後悔したくはありません。

いきなり相手を許すことは、出来ないでしょう。人だからこそ。どんな偉人も伝記どおりの人なんていないはずです。

不完全で脆い自分の過去を分身と共に癒し、取り戻したい時間を相手と再現していけたらとどんなにいいか。

相手を許せる瞬間が来た時、初めて人生を再び楽しめると思っています。その程度しか言えませんが、近づきつつあるかもしれません。


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