人 感謝とは?

はじめに

わたしは、自分の半生が過ぎようとしている最中、中々出来なかったことが やっと”出来るようになった”ことがあります。それは

全ての”人”と全ての”出来事”に「感謝」する

ことです。感謝の意識をもつことや、感謝の言葉を いとも簡単に出来る・・・なんてことはまずありませんでした。それだけ、世の中を屈折して捉えていましたし、人を信用していませんでしたから、私にとっては難しいことでした。

でも、実は世の中は、自分が思い描いているより ずっとシンプルで、もっと有難いものだと理解するのに時間がかかってしまいました。時間はかかりましたが、残りの半生をやり直せれば良いだけだと思っています。

気づけて良かったです。こんなにも人や出来事に感謝するだけで、自分の気持ちが楽になり、周りのリアクションが好転していくことになるとは・・・

今回は、感謝について触れていきたいと思います。

感謝できない


まさしく過去の私のことを言っています。連続する不幸、脱却できない負の連鎖、ぬぐえない悲しみ、膨れ上がる怒り。そういう状況にあればあるほど 人はどうしてもその場面にいる人やその場面で起こる出来事をドライに流し、悲観し、悪い方へ向かって行きます。

どうしても閉鎖的になって、本当は事態が好転しつつあるにもかかわらず、気づかずにチャンスを逃してしまいます。

まったく別々に起こって見える場面の出来事が、の関係だと錯覚しているからだと思います。

実は、点と点が結ばれていて、それがをなして図形となり、その図形と図形が繋がっていると知れば、立体となって色づき、自分を大きく包んでいたと分かります。

本当はもっともっとを大事にしなければならなかった。

私にはそれが見えていませんでした。”実は繋がっている”ことを。今ある人達が後々に大事な人になるということを。今起こっている出来事が、後々に有難い結果に結び付くことを。

だから、粗末に捨ててしまいました。だから、一向に駄目なままでした。

でも気づくことが出来ました。それが、残りの半生の始まりになったので良かったと思っています。気づかせてくれた人達と出来事に「ありがとう」と今だからこそ言えます。

感謝を知る


ドライブしながら、そこにひまわり畑があって、満開だったとします。一面、ダンデライオンイエローで染まっていて、そこはひまわり畑だと通り過ぎながら人は気づきます。

実際は、3~4か月前に畑は耕され、種まきは済んでいますが、そのときその畑が ひまわり畑だとは気づきません。

その場面で出会う人、その場面で起こる出来事に対して、後々感謝すべき人や物事だったと気づいてもちょっと遅い・・・もっと早く気づいていれば良かった・・・が世の中には一杯あります。

”気づき”はその人のセンスや能力と思われがちですが、本当の所は努力だと思います。最悪な奴・最低な出来事に対して、感謝できる人などほとんどいないと思います。

最悪な人や出来事に、躊躇しても(もしかしたら感謝すべきかもしれない)と気付く「努力」が必要なんだと思います。それが種まきの段階だとしたら

(今この畑に、何の種を撒いているのだろう?)

と気づいて、そして自ら知ろうとする努力が必要なんです。

例えば「なんだこいつは”(-“”-)”・・・」って思う人がいて、(もっと他に言い方ってものがあるだろうが!」と最初に思ったとします。その時、(もしかしたら・・・この人は言い方が悪いにしても、今から起ころうとしている悲惨な事態を事前に教えているのかもしれない・・・)と努力しながら転換して捉えて見ると、その時初めて

(ありがとう) (感謝します)

と意識の中で思えるようになります。たったそれだけで、事態は好転します。今までの実体験で言うと、素行が荒く、物言いの悪い人が、実は照れ隠しの良い人だったことが多いからです。

本当は相手のことを思って言っているのに、上手く表現できない善人も沢山います。それを相手が悪くとらえて正面からぶつかりにいったら、もう最悪です。

もしかしたら・・・と立ち止まって(感謝すべきなのかもしれない)と気づく努力は、仕事や人間関係だけではなく、その後の人生そのものを最高に楽しいものとさせてくれると断言できます。

それができるようになってからの私は、色々な人から助けてもらいましたし、思いがけない恩恵もいただけるようになりました。今までの半生とまったく違う世界を今歩んでいます。

 (世の中 自分だけが頼り)、(自分以外の人は信用できない)

だと生きることが、いかに細い綱を渡っているようなものか、あなたも分かるはずです。

甘えるところは甘えて、いち早く感謝の気づきをもって、言葉に出すだけ。人生は、意外にもシンプルだ と今更ながらに気付かされる私でした。

現状がドン底なときに、努力して思うようにしていることがあります。

ちゃんと

家族は健康で楽しく過ごしている
三食を食べて生きている
寝るところがある
シャワーを浴びることができる

これ以上に何を求めるものがある?天災で被災した人の立場を思えば、今ある自分のどん底など何のこともありません。

「ありがとうございます」「感謝いたします」と思い、それを言葉に乗せて発する努力をこれからも続けて生きて行こうと思っています。それさえできれば、大丈夫。大丈夫だと分からせてもらえました。

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