奪う人と与える人

はじめに

世の中には、人にリスクを与えて、自分はノンリスクでお金や信用を奪う人がいます。詐欺もその一つですが、実は日常的にそれがあります。

私の事務所にも、そういう人が来ることがあります。会話の中ではとにかく「”多分”、”おそらく”・・・

大きな利益がでるかもしれない。」

儲かると思います。」

あなたなら、出来ると思います。」

などと言いながら、言っている本人はその事をやってはいないという、不思議な話です。それに対して私も何度か言ったことがあります。

「そんなに儲かるのであれば、ご自分ですればいいじゃないですか?」

というと決まって

「私には元手となる資金がありませんので・・・」

「私の年収ではとても金融機関で借入が出来ませんので・・・」

と言います。そして、実際の利益発生以前に仲介手数料とか紹介料とかいう名目でお金をもらうわけです。そして、後々音信普通になるんでしょうね(>_<)

そんなの分かり切った話だよとあなたは当然思います。でも人は精神的に追い詰められ、毎日お金の不安と恐怖の隣りあわせになると、正常な判断はできなくなりがちです。そして、こんな話自体を持ってくる人も、お金に困った人達ばかりです。

世の中の死角になるどこかしこで、人と人が負の連鎖を生み出していて、結局何もなくなってしまう。何もいいことなどありません。今回は、そのへんに触れてみたいと思います。


奪う人は、奪って失うことに自覚がない

奪う人

”自分が一番大切だ”、は間違っていないと思います。自己の肯定は、この先の人生を楽しむ上で必須と言えます。

が、しかし”自分さえ良ければいい”人は、できるだけ人と関わってほしくありません。関わるとお互いに悲しみや憎悪、怨恨、失望・・・負の産物しか生まれてこないからです。

自分さえ良ければいい人が、相手から「お金」、「信用」、「誠意」、「感謝」、「良心」、「知識」を奪っておいて、自分の人生は平然と安寧に生きていく。正義感が強い人は到底許せないことでしょう。

こういう自分さえ良ければいい人→”奪う人”は、関わる人全て、自分の家族までも不幸にします。自分一人で生きてきたわけではないのに、恩を仇で返していることに自覚もありません。

当然、一度関わった人達は、信用できないと一線を引き、自分が失った代償として色々な人達へ、被害話を言わなくてはいけなくなります。そんな陰口言う人ではなかったのに、そんな人に成り下がってしまう。”奪う”人と関わったがために・・・。

一方で奪われてもなお、奪う人を許せる人がちゃんといます。人としての器量・裁量が並外れていると言えます。そういう人が周りに言うことは、

「もういいんだよ。忘れましょう。なんにもならないから」

許す=忘れる、を実践できる人は素晴らしいです。到底真似できません。私は、後10年経っても出来ないでしょう。だから、”奪う人”だと察知したら、関わらない。それしか出来ないんです。あなたならどうですか?


与える人

知識・経験・技術を惜しみなく教えてくれる人は少ないです。それが出来る人は、次の時代を真剣に考え、最終的に自分が現役として世の中に貢献できなくなった場合、後継者を作らなければならないと模索しています。

もっと極端に言えば、自分が後々に楽を出来るようにしているとも言えます。それに気付ける人は少ないです。自分が一番だと思っている人は、自分の知識・経験・技術は、自分だけの物であって他に広めることはしません。結局いつの間にか周りの人からアッという間に追い越されてしまうことを予想していません。井の中の蛙になってしまいます。

人に与えることは、自分が不利になることではありません。自分のもてる全てを相手に与えながら、その相手新しい視点や発想を貰っています。そこが人と人との交流の良さです。与える人は、自然と人も集まってきますし、引き寄せられるものです。

実は、お金や物を与える人も同じことが言えます。何か下心丸見えとも取れて、嫌だと思う人もいるでしょう。でも自分が裕福になって、他者へ寄付行為出来る人は、人生の幸福度が高いです。なぜなら、相手を大切に思うからこそ、与えたいと思っており、相手のためになったと分かれば、自分の行為と存在が満たされるからだと思います。

これは難しい話じゃありません。知識・経験・技術・お金・物を大切なあなたへ与えたい。ただそれだけの話です。

与える人は、相手を幸せにするばかりではなく、自分自身のこれからを幸せにしている。そして、いつしか沢山の人から囲まれ慕われるようになります。お金や物に釣られてくる人は、すぐにいなくなりますが、与える人はあえて追っていきませんし、怒りもしません。

 来る者拒まず、去る者追わず
 お金の切れめが、縁の切れめ

与える人は、亡くなった後も惜しまれ、そしてその家族も恩恵を受けた人達から感謝を施されます。幸せをみんなに連鎖させるって素晴らしいです。

あなたは、与える人に出会いたいですか?それとも与える人になりたいですか?


 おわりに

物やお金を自ずとせびりにくる人は、鬱陶しいですが、自然といなくなります。そういう人は、もとは同じ人の子として産まれてきたにも関わらず、その性格は大きな個人差を持ちます。そして、人生の結末に天地の差がつきます。

奪う人は、哀れで悲しいとかじゃなく、変わって欲しいです。お互いがお互いのために助け合うことが出来る世の中に生きていたいと思いませんか?世の中がそうでなくても、自分の周りの世界だけでも実現してみたいと思いませんか?

私は、子供やその子供達のためにも実現したいです。相互扶助、結の精神を持って、与える人として人生を終えたいと思っています。小さなことでも良いので、少しずつコツコツと与える徳を積み、幸せな人が集まるようにしていくつもりです。

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