人 運命と宿命とは?

人が誰かと出会い、恋愛して、結婚して・・・本当にそれが決まっていたことなら?

はじめに

私はとことん女性とは縁の薄い男だったと思います。独身時代は、あの女性いいなぁと思って付き合えたことなどほとんどありませんし、合コンやサークルコンパ、学部・学科・研究室のコンパ、社会人のコンパなど様々な出会いの場はあったはずですが、それがきっかけで女性と付き合ったことはありませんでした。サラリーマン時代は、恥ずかしいことに仕事一筋でした・・・。

仮に学校や部活動で付き合った女性がいたとしても長続きすることもありませんでしたし、恋愛経験から素晴らしいことを学んだことも記憶にありません。まぁ、恋愛自体に臆病だったこともあるのでしょうけどね・・・そう、恋愛自体怖かったのかもしれません( ;∀;)そうかもしれないし、そういう運命だったのかもしれません。それがありのままの過去ですから。

そもそも運命や宿命という言葉を私は信じることが出来ず、避けたり遠ざけてきたりしてきました。自分の人生が最初っから決まっているなんて、つまらない!し、自分の人生は自分で切り開く!とも決めていました(というより、決まっていたとしたら・・・に恐れを持っていました)。若い頃はそれだけ体力も充実していたから非現実的なものを跳ね飛ばすだけの元気もありました。もし非常によく当たる占星術師に「自分の運命や宿命を知りたいですか?」と聞かれても「知りたくないっす!」と言って一目散に走って逃げたと思います(”ω”)ノ。

自分が何歳にどこかの企業に就職して、結婚して、子供たちが生まれて、いつこの世を去る・・・なんてことを知りたいけど知りたくない感じです。人生が良いことだらけだったら知りたいですが、辛く悲しいことを知りたいと思うほど心に余裕がないんです。それだったらもっと壮大な夢と希望を持って今を生きていきたい。明日をワクワクしながら生きていきたい。

だからこそ私は人生の折り返し地点が近づきつつあるとき、チャレンジしました。自分の精神力と体力をあらん限り使って色々なことにチャレンジしましたし、まだまだチャレンジ真っ最中のこともあります。チャレンジすることで最大の敵は”自分”です。その自分に「ベスト尽くしたか?」と聞いたら「尽くした!」と言えるようにやっています。

このチャレンジが最初で答えが出ていれば一番良いのですが、そうもいきません。結果を知りたいですが、知る由もありません。でも年齢を重ねてきたこともあって、こうやってベストを尽くした後は、自然の成り行きに任せるようにしています。ある意味、運命や宿命があるのかもしれないと受け入れつつあるのかもしれません。”ジタバタしてもどうにもならない、なるようになるさ”ぐらいが丁度良いんです。

チャレンジしている最中、一言もネガティブな思考や発言をせず、ポジティブな事だけを口にするように強く心がけていました。不思議なことですが、自分が口にし続けてきたポジティブ思考と発言の内容は現実化しました。もし、若い頃だったら、「ほらやっぱり自分の人生は、自分で何とかできるんだ」って思ってたでしょう。

でも今なら違うと分かります。チャレンジして何かとんでもないことに手を付けてしまった・・・なんてよくあります。でも直感や予感だけは冷静でした。こんな感じです。(あ、多分このままいけば大丈夫だ)という確信です。今までの経験を脳が必要シナプスだけを駆使・分析して答えを出すのが直感・予感です。でもそれだけじゃなくて、それ以上に大きな船に乗って自分で決めた航路を進んでいるような大きくて安心して身を任せられる感覚がありました。

こういうのが”運命”なんだろうか、と体で感じました。

そういう時って色々な人がタイミングを合わせたかのように集まってきたり、助けてもらったり、励ましてもらったり。ありがたいです。自分で選択した道だけど・・・結局私は、それを選択する運命だったのかもしれない。今回はそのあたりに触れていきたいと思います。


運命と宿命

今回で最後の紹介となります。作家:本田健先生の「大富豪からの手紙」という本の紹介です。最後の手紙(第9の手紙)は「運命」です。この手紙は、大富豪である祖父が、孫へ最後に綴ったものです。なぜ、最後に「運命」を教えたのかは、この本を読めば何となく分かる気がします。もし、興味がある方いらっしゃいましたら、BOOKOFFでも立ち寄って手に取ってみてください。ビビッ!とくるものがあったら、それもまた「運命」かもしれません。

この手紙では「運命」と「宿命」を別物として切り離して説明してあります。

・「宿命」は宿る命。自分が生まれたときに決まっているもの。
・「運命」は運ぶ命。どうやって生きるかは、自分が自由に決められる。

この解釈だけでも、私は大きな勘違いをしていたことになります。運命も宿命もほとんど一緒のものと思っていましたからね(/ω\)

誰にでも選択肢はあるし、自分でどうするかの「自由意志」があります。注意しなければならないのは、”知らないうちに、自分の宿命の引力に影響されている”ことです。

どれだけ自分で自分の望む方向に進もうとしても、たえず「連れ戻そうとする」力が働いていることを忘れない。

例え話を私なりに考えてみます。

Aさんは、41歳の男性です。サラリーマン営業、年収650万円、趣味はアウトドア。アウトドア用品は、使う頻度も減って埃をかぶったままです。毎日会社の社畜になって家族のために働いてきました。家族は奥さん(40歳)と息子(11歳)の3人で共働きです。

でも学生時代から夢だったニュージーランドへの移住は、忘れてはいませんでした。現実的にこのまま会社を続けていては、70歳にならなければ年金受給もできず、夢をかなえることはできないと頭では分かっています。途中でリストラになってしまえば、また再就職先を見つけなくてはなりません。

あるテレビ番組で日本人の男性(45歳)が、末期ガンで余命11か月の宣告を受け、途方に暮れる中、かねてより夢だったスウェーデン移住で笑って最後を迎えると決意して旅立つという内容でした。悩み始めたときのことだったのでAさんはこの内容に電撃を受け、感銘を受けました。

Aさんは(人はいつか死ぬと分かっているのに、やりたいことをやらないって・・・本当はやれるかもしれないのにやらないって・・・もう死んでるのと一緒だ)と思いました。Aさんは悩みに悩んで、ある日奥さんに相談しました。(きっと「なんて馬鹿なこと言ってるの!」ってなるだろうな・・・)と覚悟してましたが、「それすごい!いいよ!やってみましょうか!」と意外な返答をもらいました(; ・`д・´)。何も考えていない息子は、もっと楽しそうです。

会社の上司や同僚からは再三引き留めにあいましたが、丁重に振り切って3か月かかって自主退社しました。奥さんもパート先を辞めました。貯蓄は850万円、家族3人して英語も話すことはできませんが何とかやりくりできそうでした。毎日家族3人で移住に関する情報を調べ、ワクワクしながら楽しく準備を進めていました。時々、ニュージーランドに移住してからの苦労を思い、深い不安に襲われましたが、やりすごしました。

その矢先、Aさんは準備に奔走して疲れていたのか、居眠り運転で自損事故を起こしてしまいます。幸い命に別状はありませんでしたが、全治1か月の左腕の骨折をしてしまいます。家族や友人へ心配をかけ無気力になりかけている所へ、たたみかけるようにAさんのお父さんが心筋梗塞で急逝しました。

心も体も疲弊したAさんは、思いました。(これはニュージーランドへ行くなってことなのかな・・・もう会社もやめてどうしようもないっていうのに)お父さんの葬儀も終わり、ただただ骨折した腕がギプスで重い・・・(あきらめようか?ニュージーランド・・・)

そう思っている所へAさんのお母さんから携帯電話に電話が入ります。しばらくコール画面を眺めて(もし母さんがニュージーランドへ行くなと言えば、あきらめようかな・・・そういう宿命だったのかもしれない)と思いつつ電話をとりましたが、言われたことはこうでした。

母:「Aも不幸続きで大変だけど、諦めたらだめだよ。」

A:「え?何を?」

母:「だから、ニュージーランド移住。学生の頃からの夢だったんでしょ。覚悟決めて会社もやめて家族で行くって決めたんだから、諦めたらだめだよ!」

Aさんは、この言葉で新たに奮起します。(そうだ!もうやるしかないんだ!前だけ見て行くしかない。今から楽しい生活が始めるんだった。もうなるようになってしまえ!)

宿命と運命の分かれ道(分岐点)

かくしてAさんは、家族3人でニュージーランドの首都ウェリントンの郊外に無事移住し、新しく農場と牧場を始めます。片手間に農場と牧場から出荷する農産物でカフェのオープン準備も始めました・・・

人は、宿命に翻弄されながら、意気消沈して「もうダメだ」と絶望したときに自分のやろうと思っていることを諦めてしまいます。ここが自分の宿命と運命の別れ道です。チャレンジしなければそういう場面に直面することもありません。でもそういう時に、不思議と人が、人の言葉がその人の背中を行こうとしていた道に押してくれたりします。

宿命と運命の境界線は自分で引くことができます。でもそういう場面は既に精神的に疲れ果てて自暴自棄になっていることがあります。大抵はそういう平穏でない出来事を嫌ったり、遠ざけたり、避けたりしていつの間にか年を取りすぎてしまうのかもしれません。どうしても運命を選べないときに、ポンと大切な人が背中を押して元々歩もうとしていた道に戻してくれたりするものじゃないでしょうか?そんな気がします。人は財産だと思います。

偉業を成し遂げた偉人の話は凄すぎて、逆に分かりづらかったりします。でもやったこともないことにチャレンジしその分かれ道にたどり着く所は一緒です。避けて通れません。そうやって、直感や予感は研ぎ澄まされていくのかもしれません。

チャレンジして失敗したと思ったことは、失敗ではなくて、成功への通過点です。大事なことは諦めずに、続けてみること。そして、周りの大切な人を変わらず大切にし続けること。ギラギラして年齢より若く見える人は、そういう人が多いですよ(^-^)


諦めない人だけが見える展望があります

終わりに

ずっと怖くて不安で挑戦してみたかったけど、みんなに迷惑をかけることになるから、やっぱりやめておこう、とずっと心にとめておく人は思っている以上に沢山います。日本人は礼節を重んじる上に義理堅い人も多いです。それを美徳とした人生は素晴らしいものです。

でも自分の一回きりの人生は、誰のものでもなく誰も毎日の選択肢を決められません。周りの人がやっているようにやってきたのに、思っていた将来はやってこなかった?は、結局自分の選択で進んできた道のはずです。

前にも言いましたが、人が何かをするときに悩む不安や恐れたことは90%以上起こりません。これが自分の運命かもしれない!と直感で体が震えたり、心がワクワクするようなことがあれば、成功しなくても次の成功のためにやってみてはどうでしょうか。皆、周りの人の失敗談や自分のトラウマが深く頭に残り悩み続けます。どうしても自分の運命が分からなくなったら、大切な人と対話してもいいと思います。

客観的に冷静に自分を見つめる良い機会になるかもしれません!(^^)!

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