お金欲しい、呼ぶためには?

家族で南国リゾートへ行きたい いや行ってやるんだ(”ω”)ノ

はじめに

いつか必ず子供達を連れて、最高の思い出となるように南国リゾート長期宿泊ツアーへ行ってやるんだ!なんて気分の乗った日は思ったりします。朝日が昇って2時間ほどたった白い砂浜の先にエメラルドグリーンの海が広がり、白い波が水平線いっぱいに打ち寄せる。子供たちは、声にならない歓喜でニヒルに笑いながら、服が濡れるのをかまわず波打ち際まで走り、後ろで見守る私と奥さんを振り返って・・・・。いや~いいなぁ・・・・。

最高のシチュエーションが頭の中で出来上がっているのに、現実世界で時間の経過と仕事と収入問題にぶつかってしまいます。(ノД`)・゜・。でも大事なことは、こう思うことです。

私だったら、俺だったら、必ずできる。
大丈夫、大丈夫。きっと何とかなる。

結構簡単なことですよね。でも中々できない人が多いのは、日ごろからの自分を肯定できずに卑下してしまっている人が多いからです。ちょっとそのあたりに触れてみますね。

お金を呼ぶ人

時として、大切な人を守るために、大切な人が成功するように嘘をつくこともあります。そうなるように願いながら嘘をつき続けていたら、実際”本当にそのとおりなった”なんてことは、けっこう皆さんあるんです。

同じように自分にポジティブ思考で自己暗示を続けていると、精神的に正のフィードバック循環が形成され、本当に大変な功績を納めることができてしまうのは事実です。その人のバイタリティが高いのは、自分で自分を高める自己暗示能力が高いからだと思います。

さらに言うとそういう人は、長い下積み経験を持っていたり、人生のドン底を這いまわり辛酸を舐めてきたバックボーンを持っていたりします。お金に苦労した分だけ、大きな収入を得た時も、浮かれないし爆買いなんてこともせず、淡々とその有難みを思い、大切な人達にお金を循環させています。感謝を忘れていないからです。また、自然体でニコニコしているから人も寄ってきます。

長い間苦労を味わっているからこそ、人生に大きな苦難が再来しても、慌てず淡々と這い上がる強い心も持っています。

強い心と言いましたが、心の余裕があるのかもしれません。”大丈夫”といつも思える余裕です。この心の余裕が無いまま、ラッキーにも大金を得る人が、その後大荒れになってしまい、不安と恐れにさいなまれ、運にもお金にも見離されるパターンは、皆さんもよく聞いたり見たりする話しではないでしょうか?

(これだけ、長い間苦労し続けてきたのに全く良いチャンスがやってこない・・・・なんで自分だけ・・・・)と思って生きる人は沢山います。でもまず、”世の中は不平等なんだ”という固定観念から捨てましょう。そんなものさっさと捨ててしまいましょう。だから苦節と苦労だけが寄ってくるんです。

苦労の分だけ大きな強い心ができているはずです。後は幸運とお金を受け入れるだけなんです。そして”チャンスの訪れは皆平等”です。

自分の長所や短所も含めて肯定しましょう。自分の不運も含めてこれからの幸運のために肯定しましょう。人だからこそ不完全だし、間違いや過ちをするし、毎日心にムラが出ます。私はこう思ってます ”だって人なんだから”

反省して誠意を示し、感謝を忘れずニコニコ笑顔で頑張れば、すぐに人はまたチャンスとお金を呼び込めます。自分を卑下しないでください。”俺ならきっと大丈夫”と毎日自己暗示をかけて、もっともっと良い気運を呼びましょう。

お金を呼ぶ人 を実際見て私が、学んだことです。私は、まだまだ志半ばですが、幸いにも”心の余裕”が持てました。”大丈夫、必ずチャンスは訪れる”と営業や商売をしながら自己暗示をかけ、不安や恐れに左右されることはなくなりました。そうすると、家族や周りの人も笑顔になって良い話と良い結果を誘導し、収入に繋がっていきます。諦めないでください(^-^)

止まない雨はない・・・必ずせき止められていた幸運が噴き出す瞬間が訪れます
心の遊び部分が、選択肢を増やす

日本人の多くが、勤勉でまじめに生きる気質を持ち合わせていますね。日本の社会全体が「〇〇しなければならない」といったようなある種の強迫観念に囚われています。すごく大事なことですが、逆にそれが選択肢を減らしている要因でもあります。

明日は大事なプレゼン。自分が中心になって手掛けてきた。でもさっきから熱が上がりっぱなしで、吐き気と頭痛がひどい。明日起きれるだろうか?代わりにプレゼンできる人はいない・・・休めるなら休みたい・・・いや、私がプレゼンしなければならない。といったような似た体験はありませんか?日本人の責任感は、計り知れないものがあります。ありすぎるくらいかもしれません。ふと、その風景を空から自分で見ていたら、何て思いますか?

「休めばいいのに」
「そのままプレゼンして倒れても労災認定もされなければ、医療費も出ないのに」
「大体そこに至るまで、自分でしなければならないって決めつけて、周りの同僚に頼ってないから、代わりにプレゼンする人もいないんだ」

自分を客観視できるくらいの遊び部分がないと、本当の選択肢は中々出てきません。日本人の良い所でもありますが、悪い部分でもあります。ある意味、その責任感が美学のように刷り込まれてきているから仕方ないのかもしれません。

心に遊び部分のある人は、仕事構築を始める時点から沢山の選択肢を持っています。仕事が最終局に入る段階で自分と周りが崖っぷちに立つことがないように、余裕を持ってクライマックスに入る組立を優先しています。

私の上司だった人で すこぶる頭の良い人がいましたが、いつも結果を出せる人でしたので、役員からも気に入られ、出世も早かったです。普通の人たちと違ったのは、常に心の遊び部分を大事にしていたことです。失敗を恐れることもありませんでした。いつもの口癖が

大丈夫、大丈夫、何とかなるさぁ(^-^)

でした。〇〇しなければいけない に追い立てられていた周りの部下達は、いつも拍子抜けでしたが、肩の荷が下がる思いだったと思います。そして助けられていたのかもしれません。

”〇〇しなければならない” は大事ですが、結局 成果を上げる or 成功する に至らなければ、収入にならないんです。そこが肝要です。

周りのの強迫観念に左右されずに、いつも成功する結果をビジョンとして持ち、苦しいときは「何とかなるさぁ」と一旦落ち着いて、選択肢を広げて見てはどうでしょうか?


子供は遊びの天才! 心に余裕が沢山あるからかも(^-^)

まとめ

私のサラリーマン時代は、日本人サラリーマンを絵にかいたような、ノルマと責任に追われ続けてきた人でした。幼い子がやっと家に生まれてきても、家庭を顧みらずに土曜も日曜も祝祭日も大晦日も仕事に出て行きました。やがて、妻が心の病になったとき、家族皆が苦しむことになります。結局、自分が死に物狂いでやってきた十数年はなんだったのだろう・・・と思い返しました。

何もなっていなかった。何も。収入は安定していたということだけが取り柄で、残業代などほとんど貰っていませんでした。〇〇しなければならないの呪縛から自分で自分を解き放つために、多大なエネルギーを使って、脱サラし、国家資格を取得し、まったくやったことない業種をはじめました。

そして、次のステップに入るための探索をしています。お金に愛され、お金を呼び寄せる人となるための壮大な冒険をしています。直感ではありますが、近づきつつあると思っています。そのサインは自分の心の遊びができたこと。そして自分を取り巻く人達が本当に良い人であり、笑顔で訪れてくれること。良い話を持ってきてくれること。感謝 感謝です。

自分が変わらなければ、周囲も変わらない。お金もやってこない。ただそれだけのことかもしれませんね。

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