おかげさまで

はじめに

例えばの話を思い浮かべてください。マンツーマンの状況で、何でもいいからあなたがあることを相手の誰かから教わっているとします。新しい習い事・ジム・スポーツ・業務引継などどれでも良いです。そして、どれだけやっても、どれだけ考えても、どれだけ体に覚えさせようとしても、出来なかったとします。

相手の講師・先生・監督・先輩・友人のいずれかは、出来ないことを懇切丁寧に何度も教えますが、それでも出来ないままです。あまりにも出来ないので、教えている側に苛立ちが見え始めます。あなたも、ヒシヒシとその空気が刺さり、なお焦って出来るように繰り返し繰り返し改善を試みますが、余計に悪くなる一方です。

ついに教える側が、嫌味ともとれる発言を出し始め、あなたは今教えられていることや自分の不甲斐なさに対し、苛立ちと自己嫌悪を覚え、やがて悩んでしまいます。周りの人も出来ないあなたを見て、何かを言っているようにも見え始めます。

さらに追い打ちをかけるかのように、時を同じくして教えてもらいはじめた同年代の人がアッという間に出来るようになってしまいました。タイミングが同じなので比較対象とされているのではないかとさえ思えました。そして出来ない日々が続いたことで、トラウマになってしまい、夢にまで見てしまいました。

ところがある日、突然なぜだか予兆もなく、出来なかったことが出来るようになりました。理屈もへったくれもなく、何となく感覚的に出来るようになっていたのです。出来るようになった様子を見た教える側は、嬉しくなってあなたを褒めます。出来ないときは、苛立ちながら嫌味だったのに・・・

あなたは、こんな時にどう感じますか?

”これは、自分が諦めずに努力し続けた結果だ”
”どういう態度の豹変?調子の良い時だけ、自分の成果にして・・・”

色々思うことがあり、表面上正解だと言いたいところですが、やっぱりあなたの本音が分かっているとおり間違いなんです。


失敗が続き自身をなくした時こそ、開き直って楽しいことに目をむけていきましょう
自分を遠くから見てみる

前述の内容は、ほとんどが自己主観の世界です。ある意味自分の視界が失敗続きで閉塞感を強めていきます。それと合わさって被害意識も強くなっていきます。世界でただ一人取り残されたような気分にもなりがちです。

でも実際は、本当に自己主観です。自分とその周りを遠くから眺めるように空から眺めていると、出来ないことにクヨクヨして、自己嫌悪になって、悩んでいることが目や口元、表情から分かります。自分のことは自分が一番分かっています。勿論、人だから当たり前のことです。

他の人と言えば、教える人とその周囲の人です。 教える人は、あなたが出来るようになって欲しいがために、ついつい感情的になってしまいますが、(この人にはこの人なりの習得方法があるはずだから・・・自分の教え方も悪いのかもしれない・・・)などと思ってたりします。嫌味ともとれる発言は、それだけ教えることに熱が入っている証です。その周囲の人も実はそこまであなたに関心があるわけでもなく、自分のことに注力しています。あなたの出来事など記憶の彼方です。

あなたが(私が教える側だったら、こんな風に思うはず)は、たまに当てはまるだけで、ほとんど的外れです。自分は自分、他者はやっぱり他者。それぞれ千差万別の考えや思いがあります。

そして本当はそうだと分かっていても、辛い・苦しい・悲しいときは、自分のネガティブ世界が空を覆いつくします。客観的に見れば、自分が思っているほど深刻な状況ではありません。

そんな元気のないときは、自分を楽しい方に仕向けて、忘れるぐらい楽しむことに熱中したり集中したりします。ここで「どうせ・・・」は禁句です。どうせも何もありません。自分で悪い自己暗示をかけては、元も子もないです。

全力で走ったり、自転車をこいだり、泳いでみたり、ボールを追いかけていれば分かるように、なまった体は呼吸をするのに精一杯です。読書にしても活字を追いかけることに集中します。その時、モヤモヤ・ザワザワしていた世界は、恐ろしいほど静かになります。

その時こそ、今の自分を遠くから客観視して見れば、冷静に分かるかもしれません。こんな大きな世界で、一人の自分がよく分からない小さな煙に巻かれて 息苦しくもがいている様子が・・・周囲の人は気づいていません。よく見ればその煙は自分だけに見えています。よくよく見るとその煙は、自分の頭から出ています。自分の考え方や気持ちの切り替え次第で、その煙は消えるでしょう。

逆に早くその煙を止めなければ、他者に対しての”怒り”・”憎しみ”・”妬み”といった感情に代わってしまいます。それだけは、阻止しましょう。余計に自分が落ち込むことになります。


おかげさまで・・・

最初の例え話に戻ります。この例え話に限らず言えること。それは、

自分の記憶に残るほどの幸せは、”他者や外の世界”がもたらします。

感謝や感動、感激などが良い例だと思います。自分で自分に生み出す幸せに似た感覚は、自分のためのご褒美であって、ものすごく一時的です。結局のところ何だったんだろう?と冷める自分がそこにいます。

ある日突然予兆もなく出来るようになったことは、明るく幸せな出来事です。その日から世界が広がった感覚がもたらされます。でも自分一人で出来るようになったわけではありません。人生を自分一人で生きてきたわけではないことと一緒です。教えてくれた他者がいないことには、何も始まらないし、どこを目指せばいいのかも分かりません。

結論から言うと、

思うべきは ”感謝”
言うべきは 「おかげさまで」

たったそれだけで、今その瞬間から、あなたの考え方も変わり、教えてくれた人との関係はもっと良くなり、無関心だった周りの人もあなたに好意を持ちます。たったそれだけですが、なぜだか、みんなとあなたが幸せになれます。

人には運やツキがあることを「ダメな時期と上手くいく時期とは?」の記事で書きました。「運を引き寄せる人とは?」では、違う角度から運のある人を見てみたりしました。

それらも含めて、自分の状況を好転させる簡単な方法が”感謝”を”言葉”で表すことだと断言します。それができない場合でも、そう思うことで事態は変化します。たったこれだけなのに、面白いほどの即効作用があって、自分が想像している以上の世界が開けます。

 ”あなたが変わると、みんなも変わる”は、本当のことなんです。


おわりに

そんなわけないだろって思いますよね?私も実はそうでした。でも試しに数をこなしてやってみたんです。「いやぁ、本当に今回はおかげさまで・・・・」みたいな感じで。または、(あの人は自分のためを思って言ってくれてるから・・・)と捉え方をぐるりと変えたり。

全然違います。展開と結末が。悪い状態もびっくりするぐらい好転したりしました。肝要なのは、本当にそう思って感謝することなんですけど、そう思ってなくても感謝を口にすれば、不思議と世の中はふんわり軽くなって、自他共に幸せな気分になれるんですね。

それからでしょうか、私はスーパーやコンビニのレジスター担当者にも「ありがとうございます」と言うようにしました。ただの流れ作業になりがちな場所ですけど、お金を払う以前に相手は自分と同じ「人」だからです。自分がこのレジスターの担当者だったらと考えたからかもしれません。たったそれだけでも、普通だったら、買い物かごに放り込まれるビニール袋も、わざわざ忙しい中、買った物を、ビニール袋に入れてくれたりするんです。

他者が幸せを運ぶなら、その他者に感謝の心と言葉を示さなければ。

たったそれだけの話が、長々となってしまいすみません。ここまで読んでくださり「ありがとうございました」